わたしの持っている専門職の資格を活かせる仕事が決まったため、急遽現在勤めているアール会社を辞めることにしたプチ初老ころん。
わたしが突然退職するので、まわりのみんなはびっくり仰天だわな。
わたしはここぞとばかりに、乞食部長のパワハラのせいで辞めるといいふらした。
わたしは正社員になりたいと乞食にうったえたのに、責任を背負いたくないからころんさんは契約のままでいることを望んでいると、全く逆のことを上司にあげていた、これってパワハラですよね、とベラベラといいふらしたのである。
ふん。
わたしを怒らせたヤツは地獄で後悔するハメになるんだよ。
しかし乞食の評判は、これ以上ないというぐらいすでに地に落ちているので、もはや下がりようもないのである。
多分、乞食のせいでわたしよりひどいめにあった人、いっぱいいると思うよ。
そんなある日、京都で会議があるか何かで乞食が、やってきた。
わたしの近くに空席があるので、そこでニコニコ愛想をふりまきながら、こちらの様子をうかがっている。
多分、ただのかまってちゃんだと思う。
わたしはもう目も合わせたくないので、ガン無視して仕事が忙しいフリをする。
そしたら、乞食は
「消しゴム貸して。」
とわたしにちょっかいを出してくる。
わたしが乞食に並々ならぬ怒りを感じていることを知っている同じ部署のおじーちゃんが、空気を読んで必死で消しゴムを探す。
わたしは自分の消しゴムを乞食に渡して、あてつけのように荒っぽく立ちあがり、そのまま席を外してやった。
わたしはあなたが嫌いなんですオーラ満開。
そして中庭で倉庫整理をしている乙女課長のところに行ってグチる。
「わたしはもう乞食部長としゃべるのもイヤや。
挨拶するのもイヤや…。」
すると乙女課長は、同情した眼でわたしを見て
「もう生理的に嫌いなものは、しょうがないな…。」
と言った。
それから乞食は、わたしに「またね~。」と言って、帰って行った。
またね…って…。
もう数日で退職するので、あなたに会うこと金輪際ありませんがー。
わたしが退職するって知らないのだろうか、と乙女課長に聞いてみると
「そんなわけない。
先日の朝礼で社長も言ってたし、管理職あてにメールも配信されてたで。」
ということだった。
多分乞食、頭ぶっ壊れてるんだろうな。
そして…。
これはわたしが退職してからの出来事である。
乞食部長が配属されている九州営業所は、人数も少ないからか、皆仲が良くアットホームな雰囲気だったという。
皆で見ることのできる共有フォルダに、メンバー全員の住所が記載されたファイルがあったそうだ。
つまり、好きにこの住所録を見て、年賀状を出し合ってねってことです。
すると乞食はその住所録を悪用し、自分のSGIの手下をある従業員の家に送り込んだ。
その従業員の奥様が当然対応をする。
で、選挙活動を行ったのか、創価学会に勧誘したのか知らない。
奥さんは当然びっくりして、さらに怒ってアール企業に問い合わせをしたらしい。
それを聞いた九州営業所のもう一人の部長、ころんと似た名前の部長なので、ころん田部長という名前にしよう。
よくわたしは冗談で
「ころん…………
ダー部長が、…。」
というように、ころんと言うふりをして、実はころん田部長のことでした、というしょうもない言葉遊びをしておった。
そのころん田部長は、当然乞食部長が大嫌い。天敵。
というより、乞食を好きなヤツなんて、アール企業にはいないと何度言えば…。
乞食が社員の年賀状交換用の住所録を悪用し、宗教の勧誘か選挙活動を行ったことを、ころん田部長の手腕でおおごとに仕立て上げ、ケチ社長の耳に入れたのである。
アール企業の、ころん田部長なのであーる。
以前にも書いたが、ケチ社長は誰もが知っている大手企業の元社員で天下り社長。
大手企業出身だけあって、当然コンプライアンスに敏感で、モラル違反が大嫌い。
職場で宗教活動をするという企業秩序を乱すような行いにたいして、非常にナーバスであった。
結果、乞食は退職を余儀なくされた。
解雇では、乞食の沽券に関わるということで、華を持たせて自己退職という扱いになったという。
専門学校を卒業して、二十歳で入社し、実に30年以上も勤め続けたアール企業をこんな形で辞めることになった乞食部長。
当時50代半ばか、後半か詳しい年齢は分からないけども、アール企業しか知らないのである。
その後の再就職は、かなり厳しいものと予測される。
この話を乙女課長から聞いて、わたしはしみじみと
「人間っていつか自分のしてきたことのツケを払わされる日がくるんですねー。」
と感想を述べた。
乙女課長も、つくづくそう思うってことだった。
それから乞食がどうなったのかは、知らないし、どうでもいい。
ただただわたしは、この嫌われ者の哀れな末路を目にして、やはり真面目に誠実に人生をまっとうしようとしみじみ思うのである。
人間はいつか自分のしてきたことのツケを払わされる日がくる。
いや、今のわたしがこれまで自分のしてきたことの、ツケを払い続けている日々を過ごしているのだろうか。