浅田真央に何が起こったのか
ソチオリンピック
最終滑走。
いよいよ
浅田真央選手を
残すのみとなった。
世界の浅田真央。
アウェイにもかかわらず
一際声援が高くなる。
立ち上がって
気も狂わんばかりに
バナーを振り、
浅田真央の名前を
叫ぶファンたち。
日本の声援がそろってない
もっと声を合わせて応援しないと
とか言われてうざかった。
応援の仕方はそれぞれ。
わたしは
あまり大きな声で叫ぶと
真央ちゃんの
集中力が途切れるんじゃないかと
気になるので
ここは一つ
静かに応援したい。
浅田真央の演技が始まる。
ショパンのノクターン。
優しいピアノの音色に
合わせて
浅田真央の体が
やわらかに反応する。
滑り出した瞬間
わたしはいつも
やはり浅田真央は違う
別格だとつくづく思う。
それは彼女の体の
類まれなる
やわらかさが
感じさせるのだと思う。
柔らかな体が
しなやかに曲と順応して
浅田真央の体から
ゆらゆらと
まるで光がこぼれ落ちていくようだ。
そして
最初のジャンプは
トリプルアクセル。
世界中のフィギュアファンが
もっとも注目するジャンプ。
運命を決定する瞬間。
会場中が
息をのみ
祈るように見守る。
踏み切る。
飛ぶ。
回る。
!!
転んだ!
浅田真央は
トリプルアクセルを
成功させることが
できなかった。
会場から大きく漏れる溜息。
が
少なくとも
わたしにとっては
想定内範囲。
トリプルアクセルは
女子にとって最も
難易度の高いジャンプ。
そう滅多に成功するものではない。
女子で初めて成功させたのは
伊藤みどり。
その後成功させたのは
トーニャ・ハーディング
中野友加里
リュドミラ・ネリディナ
浅田真央
つまり女子では当時
たったの5人しか成功させたことのない
選ばれた人間にしか飛べない
魔法のジャンプなのだ。
その後、
2015年エリザベータ・トゥクタミシェワ
2016年紀平梨花
2017年長洲未来
2018年アリサ・リウ
2019年アリョーナ・コストルナヤ
2019年劉永(ユ・ヨン)
現在11人の女性選手が成功している。
4回転を飛ぶ男子は
腐るほどいる。
こうしてみると
男子が4回転を飛ぶよりも
女子が三回転半を飛ぶ方が
はるかに難しいジャンプだということが
サルでもわかるだろう。
そして
これほど長期にわたって
トリプルアクセルを
飛び続ける
浅田真央が
頭一つ飛びぬけている
もっとも高い技術力を
持った選手だということは
犬にもわかるだろう。
韓国人にも
分かるだろう。
だから
わたしは
浅田真央が
トリプルアクセルを
失敗したところで
もちろん残念ではあるが
難しいジャンプなんだから
失敗のリスクは仕方ない
さもありなんと
さほどは驚きもなかった。
これからの演技で
まだまだ巻き返すことだって
できるんだしと
自分を慰める。
だがその後の
浅田真央の演技は
とても
巻き返しのきくような
出来ではなかった。
4年に一度の大舞台。
ソチオリンピックで
浅田真央は
自信の存在意義とさえ
公言している
トリプルアクセルを失敗した。
わたしは
まあ難しいジャンプだから
仕方ないわなと
無念ではあるが
想定内範囲だと
その後の演技を見守る。
二つめのジャンプ。
これは
少しつまったような気もするが
降りたように見えた。
だが
結果的には
回転不足をとられていた。
二つ目のジャンプを見たとき
ふとわたしは思った。
あれ?
真央ちゃんって
コンビネーションは
最後のジャンプにつけてたんだっけ?
女子ショートプログラムは
3回のジャンプのうち一つに
必ずコンビネーションジャンプを
組み込まなければならない。
たいていの選手は
リスクをおさえるため
最初のジャンプか
二つ目のジャンプに組み込む。
コンビネーションを
つけそこねたときに
次のジャンプを
コンビにして巻き返すためだ。
だが
浅田真央の
ショートプログラムは
最終ジャンプを
コンビネーションにするという
失敗したら最後という
取り戻しのきかない
非常にリスクの高い構成だった。
ルール改正によって
演技後半に行われたジャンプの得点が
1.1倍になるから
こういう構成にしたんだと思う。
この
ルール改正は
ショートプログラムは得意だが
フリーが苦手な
キム・ヨナを救済するために
行われたんじゃないの、と
まことしやかに
ささやかれている。
案の定
浅田真央は
最後のジャンプを
コンビネーションにすることが
できなかった。
つまり
全てのジャンプを失敗したのである。
浅田真央の演技が
終わった後、
待ちわびたように
現実を確認するために
わたしはお連れさんに
つぶやいた。
「コンビネーション…
抜けたよな…。」
お連れさんも
茫然とつぶやく。
「うん…。
抜けた…。」
それでも
演技を終えた浅田真央に
わたしたち日本人は
歓声を送る。
茫然とした顔の
浅田真央が
リンク中央の
スクリーンに映し出される。
そして
発表される点数と順位。
15位!!
金メダル候補本命と思われた
浅田真央が
おそらく
彼女のフィギュアスケート人生において
もっとも低いとさえ考えられるような
得点と順位だった。
金メダルどころか
メダルや入賞さえあやしい
絶望的な結果となったのである。
浅田真央は
全てこの日のために
準備をしてきたというのに…。
ここで
浅田真央の
インタビューを
聞いてみたいものなのだか
残念ながら
わたしたちは
はるか異国ロシアのソチにいる。
日本人向けの
テレビ放送を見ることはできない。
日本中が騒然としていたらしいね。
お通夜
浅田真央が
そのフィギュア人生の
集大成と位置づけた
ソチオリンピックで
自身のフィギュア人生で
かつてないほどの
低い評価を受けるとは
誰が予想したのだろうか。
だがわたしは
さほどショックでもなかった。
こんなものか。
これがオリンピックなんだ、と
感心したぐらいだった。
思いもよらないことが起こる。
それがオリンピックなんだと
逆に納得した。
その前に
わたしは
プルシェンコの棄権という
ショックを経験した。
あの時は
悲しくて悔しくて
一晩中眠れなくて
号泣していた。
初老の女が
号泣するんだよ。
わたしは
今年に入ってから
二度号泣した。
一度目は
プルシェンコの棄権。
二度目は…。
その話はさておき
プルシェンコは
何度も大きな手術を受けて
長期にわたって
飛び続けた4回転ジャンプのおかげで
体はボロボロだった。
加えて
寿命の短い
フィギュアスケートにおいて
31歳という高齢。
31歳は社会的には若いが
フィギュアスケート界では
おじいちゃんです。
そのプルシェンコと比べたら
浅田真央はまだ若いし
棄権しなければならないほど
体調が悪いというわけでもないようだ。
演技することが
できなかったプルシェンコと違って
浅田真央は
失敗はあったものの
ちゃんと最後までは滑りきれたんだからね。
こういっては失礼だが
自分の心を上手に
コントロールできなかったと
思うしかない。
そりゃあ
わたしのような
平凡な人間が
一生のうちに
全く経験するようなことのない
過酷なプレッシャーや
ストレスには
さらされてはいるだろうが
そんなもの
オリンピック出場選手には
皆平等にあるものだからね。
浅田真央の事情を
おもんぱかるとすれば
ルールがあまりにも
彼女に冷たく当たることと
団体戦や広告塔として
疲労させられ過ぎたことか。
事前の練習場が悪かったと
後になって
日本スケート連盟が
マスコミにたたかれてたっけ。
そういう事情を
浅田真央本人が
飲み込んだ上で
彼女のフィギュアへの
愛と情熱が
奇跡を起こすのだと
わたしは思うしかなかったのだが
たった23歳の女の子には
過酷過ぎたのだろう。
そんなわけで
プルの危険のショックが大きすぎて
浅田真央の思わぬ結果が
さほどショックに思えなかった。
プルシェンコのことがなければ
相当なショックを受けて
落ち込んでいたかもしれない。
そしてわたしの短所として
満足の沸点が低いことがある。
元々このブログは
婚活ブログだったわけだが
2年ほど婚活して
結婚できなかったし
もういいやって諦めちゃった。
目的も果たしていないのに
婚活に満足したのである。
そして今回のソチツアー。
4年前の
バンクーバーオリンピックの後
必ずしや
ソチで浅田真央の
金メダルを見届けるんだと
ソチに来たものの
来ただけで実はけっこう満足していた
プチ初老ころん。
初めて足を踏み入れるロシア。
異国の風景、異国の人々。
オリンピックの華やかなにぎわい。
これらの風情に
わたしはすっかり満足して
本来の目的を忘れるぐらいだった。
多分わたしは旅行が好きなんだと思う。
そんなわけで
ソチオリンピックに来ただけで
浮かれて頭がふわーってなってたので
そのままふわーとなったまま
フィギュアスケートを観戦したものだから
テンションもさほど落ちることなく
浮かれた旅行気分のままだった。
だが
ほかの人々は違った。
浅田真央を応援しに来た人たちは
この惨事が信じられないようで
皆茫然としていた。
女性ファンたちは
グズグズメソメソと
泣いていた。
あんなに浮かれていた
日本人ツアー客たちは
お通夜みたいに
静まり返ってしまったのである。
一人ヘラヘラ浮かれて
浅田真央の失敗を
すぐに吹っ切ってしまった
初老のころんを残して。
続く