そんなある日のこと。
数名でお昼ごはんを食べていたのね。
グリーソンさんもゆりこさんもその場にいたわけである。
で、何かの拍子に映画の話になったのね。
するとその場にいたグリーソンさんより年上の主婦の奥様が、
「グリーソンさんは映画に一緒に行ってくれる女性がいない。」
と、グリーソンさんの独身をいじりだしたのである。
そんなもん、わたしでよければいつでも行ってさしあげるわ。
大嫌いな韓流映画でさえ、お金を出して観てもみてもいいとばかりに立候補しようとしたものの、そんなことできるはずもないとうじうじする間もなく、ゆりこさんが
「はい!わたし行きたいです。」
すばやく立候補したのである。
その目もくらむようなすばやさに、ころんは言葉を失うばかり。
若さってすげーな。
怖いもの知らず。
まさか自分が30歳近くも年上のバツイチおじさんにフラれるって発想がないから、皆の前で映画デートのお誘いなんてできるんだろうな。
いいないいな。
ころんなんて、もう生理も上がろうかとしている更年期間近のこんなデブのおばさんが、職場で異性に映画のお誘いなんてしたら、キモいって思われるかも。
男飢え飢えが丸出しになってるかも。
セクハラになっちゃうかも、なんて思うと、とても誘えない!
たいしてモテた経験もないくせに、なぜかプライドだけはマッターホルン並みのころんが、皆の前にフラれるなんて耐えられない!
わたしの娘ぐらいの年の新入社員たちの前で、恥なんてかきたくない!
今さら若さをねたんだりはしない。
それでも、モテなかったころんの人生に、たとえ一瞬でも怖いもの知らず、ふられ知らずの時代があってもよかったと思うの。
逆に一瞬でもそんな、わたしがフラれるわけがない、という謎の自信にあふれた時代があったのなら、もっとこじらせてヘンな感じのおばさんになっていたのだろうか。
そのように、わたしはもう恋愛時代から降りちゃっているようなおばさんですよ。
そのおばさんなどライバルになりえるはずもない圧倒的な若さと美貌をもった娘が、想いを寄せている男性に堂々と言い寄るのを、目の前で見せられてギリギリとしているころんの気持ちが、誰に分かるというのだろう。
早い人なら孫もいるような年齢になって、恋愛などとっくに卒業済の年増になって、どうして10代の小娘が抱くような、ギリギリとした乾いた恋の嫉妬を味あわなければならないのか。
30歳近くも年下の美しい女に好意を示されたら、またとないチャンスとばかり、男としたらいかない訳もないであろう。
わたしはこの二人が仲良くなったり付き合ったり、万が一にも結婚したりしていく様子を間近で見せられるという苦しみを味わっていかねばならないのだろうか。
こんなみじめな目にあわされるぐらいなら、もっと若い頃、必死になって婚活して、結婚しておけばよかった。
そしてわたしは、モテないなりに、ほんの少しわたしを通り過ぎた、結婚できたかもしれない男たちを思い浮かべてみる。
が、なんせモテないので、そんなにたくさんの男が存在するわけでもなく、あっさりと回想は終わる。
思い浮かべたどの男たちも、わたしの努力次第で結婚できていたかというと、どうも現実的ではない。
仮にできていたとしても、きっとわたしは不満だらけの人生を送っていたに違いない。
だからもう、どんなにみじめだと今の自分を受け入れるしかないのだ。
自分がかつて決断してきたことで、今のわたしはできている。
この現実を作ったのはすべてわたしなのだ。
そして一方で、わたしは甘い期待を寄せてみる。
そもそも、30歳近く離れたグリーソンさんとゆりこさんの結婚なんて現実的ではない。
それこそ親の介護と旦那の介護が同時に始まる。
職場の新入社員にちょっかい出したなんて、グリーソンさんの沽券にかかわることだ。
仮にグリーソンさんがゆりこさんを好きになったとして、ゆりこさんの将来を考えると、身を引くのが本当の愛ってもの。
この二人の恋愛、世間的になかなか厳しいんじゃないかしら?
ねえねえどう思う?
この二人、うまくいく可能性あると思う?
ままならぬ恋の苦しみと、勝ち目のないライバルとさえいえない圧倒的な恋敵の登場で、わたしは冷静な判断ができなくなっている。
誰か教えて!
この恋の正解を!
知って!
この迷いをこの苦しみをこの焦りを!この不安を!
刻々と変わるこの日々を、この残酷な世界の意思を、感じたままにわたしは綴りたいんだ!
だから読んで!このブログを。
続く
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