児童虐待サバイバーの成れの果て-1 絶対に子供に暴力を奮ってはいけない理由

家族
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プチ初老ころんが結婚できなかった理由のその一つは…。

あまりに攻撃力が高いため、男をやっつけてしまい絶望させてしまう。
よって男が寄り付かない。

しかしこのころんの高い攻撃力が一切通用しない運命の男があらわれた!
悪徳企業かんぽ生命につとめており、想像を絶する鈍感力を持つ屈強な男である。
どれほどわたしが攻撃しても、全くへこたれず、結婚へ向かってまっしぐら!

この男こそ、神が与えたわたしの運命の伴侶ではないのだろうか…。

実はわたしは、自分の母親についても、こういう感情を持ったことがある。
神様はこういう母親をわたしに与えたんだなって、思ったことがあるんだ。

わたしの母親は、わたしの母親だけあって、軽いキチガイである。

小さいころは、わたしはこのキチガイに、しつけと称してふとんたたきでたたかれたものだ。

自分の手でたたくと痛いから、ふとんたたきを使うんだってさ。
これ、親としてクソね。

やっぱり親が子供をたたくときは、自分の手を使うことによって、自分も痛みを感じないとダメだと思うの。

子供に痛みを与えることにたいして、自分の心や体にも痛みを感じて、後ろめたい気持ちにならないとダメだと思うの。

しかしふとんたたきを手にしたときから、このキチガイは、子供が与えられる痛みを知ることもないし、知ろうともしない。

ただただ自分の感情のはけ口として、子供に暴力を奮うだけ。

しかもこのキチガイはあるとき、

「一番痛いところをたたいてやる!」

と言って、幼いわたしのスカートをまくりあげて、太ももをたたいた。

そして、「親の言うことが聞けないんだったら、親の買った服を着るな!」と言って、わたしの服を無理やり脱がせて、裸にして外に放り出したのである。

母親っていうのは、娘の貞操を守るのが役割でねーの?

それを娘のスカートをまくりあげ、女の子にとって一番守るべきおまたに近い太ももをふとんたたきで痛めつけ、裸にして外へ放り出す。

変態男が通りかかってえじきになったら、娘の一生台無しやんね。
子供が産めない身体になったらどーするんだ!
すでに高齢で産めないようになってしまったけどな。

娘の貞操を守るどころか、放り投げて危険にさらす。
これは母親ではなくて、立派なキチガイ、もはや犯罪者ではなかろうか。

こんなキチガイに育てられて、ころんちゃん、かわいそう…。

これ、約30年前の出来事だから騒ぎにもならなかったけど、今だったら隣人に通報されるレベルだよね。

母親が母親なら、祖母も祖母で、最近こんな話を聞いた。

育ちの悪いキチガイ女は、鹿児島の貧乏農家の出身で、芋を作っていたという。
お米は一流農家でないと作る権利を与えられず、芋ばっかり作っていたのだとか。
で、芋ばかり食べさせられたので、母は芋が嫌いである。

しかしあるとき、その芋が、農協か何かで、一位となり表彰されたのだと。
たいへん喜ばしい出来事だが、祖母といえば、

「米で一位にならないと、芋で一位になったところで、意味あるかい。」と吐き捨てたのだとか。

米でも芋でも一位は一位。
立派なことやんね。

なんだかこのひねくれた血が、祖母から母、そしてわたしへと脈々と受け継がれている気がしてならないわ。

血は水よりも濃いってね。

どうやらこのわたしの腐ってひねくれた性格は、祖母から代々立派に受け継がれた血のようです。

そのようでころん家の女たちは、みな一癖も二癖もあるキチガイ家系らしい。

それはそれとして、ふとんたたきでわたしに暴力を奮ったキチガイおかんの話に戻そう。

虐待されたわたしだから言う。

絶対に子供に暴力は奮ってはならない。
しつけで子供を殴ってはいけないのだ。

しつけと称して子供に暴力を奮うのは、子供に暴力を教えていることと同じなのだ。
子供に、何か問題が生じたときは、暴力で解決してもいいのだと教えていることなのだ。

よく虐待の連鎖とか言われて、虐待された子供が親になると、その子供にまた虐待するなんて問題になってるやん。

そんなの当たり前だって思う。

だって虐待するしか、子供の育て方なんて知らないんだもん。
誰でも自分が知ってる方法で問題を解決しようとする。

もしも一度も誰からも殴られたことのない人がいるとしよう。
殴られたことのない人は、人を殴るという発想がそもそもわかないと思う。
人を殴って問題を解決しようという思考にならないと思うの。

だから絶対に子供に暴力を奮ってはならない。
もしも暴力を奮ったのなら、暴力を奮う野蛮な子供が育つだけ。
暴力の連鎖がめんめんと受け継がれてゆくだけなのだ。

その証拠にわたしも非常に暴力的な女に育ってしまった。

DVが離婚の理由となったフレディだが、わたしがこの男と付き合いを続けられるのは、暴力に慣れているからだ。

幼いときに倍以上も体の大きな大人にふとんたたきでたたかれる恐怖と比べたら、フレディにチョロッとこづかれることなんて、たいしたことではない。

一度フレディと車の中で大ゲンカになったことがある。
フレディにたたかれたので、カッとして怒り狂ったわたしは運転中のヤツをポカポカ殴り返してやったのである。

するとフレディは、

「殴り返してくるなんて、おもろいやんけ。」

と言った後、

「でも俺、今運転中だから後にしようけ。」

とわたしをなだめたのである。

わたしも確かにフレディの言う通り、運転中の人を殴ってはいけないなと思い直して暴力はやめた。

DVで元妻から接近禁止命令を出されるような男に、暴力をたしなめられるって、わたしってどんだけ暴力的なんだか。

でその後、殴り合いの続きをしたかというと、普通にフレディの家に行って、セックスして帰ったわな。

もうずいぶん前のことなので、あんまり覚えてないけどさ。

そんなわけで、子供に暴力を奮われた人間は、暴力を奮うことに抵抗感もないし、奮われても恐怖感が薄いのです。

 

続く

 

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