とうとう森喜朗元総理大臣が、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長から引きずり降ろされてしまいました!
喜朗ファンのわたしとしては残念で悔しくて悲しくてなりません!
そして森元総理の発言を正確に伝えず、一部の言葉を切り取り、事実を捻じ曲げて報道したマスコミにも怒りでいっぱいです。
さらにそんなマスコミに乗せられて、森会長を辞任に追い込んだ一般人の知性の低さときたら、もう日本という国への絶望しかありません。
それでもわたしだけは、森喜朗元総理をこれからも応援します!
そこでわたしが愛してやまない森喜朗の愛すべき大馬鹿野郎ぶりとキュートな魅力、失言についてわたしなりの解釈をまとめてみました。
森喜朗とは?
森喜朗とは、日本の政治家、2000年4月5日から2001年4月26日まで第84.85第内閣総理大臣を務めた、とても立派な人物です。
総理大臣をしていたのは1年ほどですが、これといった大きな失策はしていないものの、失言が重なって辞任に追い込まれたという、類を見ない退陣理由です。
ちなみに同じ森喜朗元総理大臣派閥に入っていた麻生太郎元総理大臣なんて、カップラーメンの金額を知らなくて、総理を辞めさせられたという経歴の持ち主です。
本当にどうでもいいことで、総理って変わるんですね。
総理大臣期間は1年ほどでも、政界の黒幕と言われていて、その後の小泉政権や安倍・福田・麻生政権も、実際は森喜朗が動かしていたという説もあります。
要は相当な大物ってことです。
では総理大臣前後の糾弾された森元総理の発言と、その本当に意図するところを、わたしなりに解釈してみました。
2000年4月「ああいうのはウソを言ってもいいんだろ」
森総理大臣は、2000年4月の就任早々、あいさつまわりに訪れた橋本龍太郎元首相の事務所で、「首相動静」について「ああいうのはウソを言ってもいいんだろ」と発言しました。
「首相動静」とは、日本の主要新聞に掲載されている、内閣総理大臣の動向に関する記事のことです。
総理大臣の一日の行動が全て公開されるので、嘘を言うなんてもってのほか。
この発言によって森総理大臣は、マスコミに抗議を受け、就任早々マスコミを敵にまわしてしまいました。
しかし森総理大臣の正確な発言の真意は、「起床や就寝の時間については嘘を言ってもいいんだろう」でした。
確かに寝オチすることもありますから、何時に寝て、何時に起きたなんていちいち覚えてないし、さほど重要ではないですよね。
嘘をつくのはよくありませんが、起床や就寝の時間ぐらい適当でいいと思います。
たいした嘘ではなく、許される程度の嘘、大騒ぎすることではありません。
せめて、「起床や就寝の時間については、だいたいでいいんだろ。」とか、「適当でいいんだろ。」だったら、こんなに批判されなかったのに。
批判された本人も、「え?こんなことぐらいで言葉尻りを取ってたたかれるんだ。」とびっくりだったでしょうね…。
「嘘」とう言葉は印象が悪いので、政治家はあえて使わないようにするぐらいの方がいいかもしれませんね。
せめてそこで、これからは言葉に気をつけようと思ってくれればよかったのに…。
また、森首相は前任の総理大臣である小渕恵三が突然死したため、急遽首相となった気の毒な事情がありました。
その首相の決め方が、説明不足であったのではとマスコミから疑問視され、密室人事と非難されてしまいます。
一国の総理大臣を決めるのに、密室ではなく公開でやれというのでしょうか。
とにかく総理大臣就任時から、批判されるという気の毒な運命にあったのです。
2000年4月 「イット革命」
20世紀最後の年、ちょうど世紀の変わり目と言っても2000年頃、世界は情報技術 (Information technology = IT) の開発により、大きな変化を遂げようとしていました。
このような変化をIT(Information technology=情報技術)革命といいます。
日本でこの「IT革命」という用語が初めて用いられたのは、2000年の6月の内閣府の経済審議会が取りまとめた「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」の実現に向けてという計画書の中でだそうです。
この頃、ちょうど総理大臣を務めていた森首相は、「IT(アイティー)革命」と読めず、「イット革命」と言ったのだとか。
当時62歳とすでに還暦を越えていた爺さんが、「IT」を「イット」と読んだからといって大騒ぎするほどのことでしょうか。
これが歴史に語り継がれる大きな失言なのでしょうか。
わたしも多分当時「イット」と読んでましたよ。
だって中学英語で「IT」は「イット」と習ったもん!
森総理は間違ってない!間違ってないよ!
「IT」は「イット」だ!
一国の総理大臣が、これから世界に大きな変革をもたらす「IT革命」を正しく知らなかったことが問題なようですが、首相の資質が問われるほどの読み間違いではないとわたしは思います。
ちなみに麻生元総理大臣は「未曾有(みぞう)」を「みぞゆう」と読んでフルボッコにされました。
確かに国の代表であるいい大人が、漢字や英語を正しく読めないのは恥ずかしいことではあります。
しかしそれをここぞとばかりに糾弾するのは、あまりに小さなことにたいして不寛容過ぎる社会です。
もっとたたいていかないといけないこと、たくさんあるではないですか。
多分、森首相や麻生首相をたたいている人たちより、彼らの方がはるかに高い学歴を持ってますよ。
総理大臣に弱者である庶民の気持ちが分かってないと怒る人たちは、為政者にたいしてどれほど聖人君子像を求めるのでしょう。
自分たちがバカだから、お金を稼ぐ能力もなく弱いままでしかいられず、弱さを武器に人をたたく卑怯者のくせにね!
ホント、漢字読めないとか英語読めないとか、そんな矮小なこと心の底からどうでもいい。
わたしが一国の総理大臣に求めることは、漢字や英語を正しく読めることではありません。
みんな、そうでしょ?
2000年5月「日本は天皇を中心とした神の国」
「神の国」発言とは
2000年(平成12年)5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において当時の森喜朗内閣総理大臣が行った挨拶に含まれていた「神の国」という発言が、大問題となりました。
この挨拶の全文は、Wikipediaで読むことができます。
神の国発言
かなり長いので、部分的に抜粋しますね。
神道の理念によれば、確かに日本は神々の国
森総理大臣の発言で問題になったのは
「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」
「日本の国、まさに天皇を中心としている神々の国」
と発言していただきたかったですね。
繰り返しになりますがこの発言は「神道政治連盟国会議員懇談会」で行われたものです。
神道とは日本独自のつまり日本だけに存在する宗教で、2700年も続く古代日本の起源でもあり、歴史そのものです。
日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書記」にも記載されている日本神話が、日本神道のルーツです。
日本人ならたいていの人は、神社に初詣に出かけるでしょう。
神社がお祭りするのが、日本神話に描かれる神道の八百万の神々です。
そして日本の天皇陛下は、この八百万の神々の主神である天照御神(アマテラスノカミ)の子孫という設定です。
天皇陛下の最大の仕事は、国民の幸せを祈ることであり、祈るということは宗教的行為です。
もしもこの世に神様が存在しない、宗教などいらないというのであれば、祈りそのものが全く意味をなしません。
祈るのも、教会に行くのも、神社に行くのも、お墓参りも全て無駄ってことですね。
ですから、日本の天皇陛下は非常に宗教的存在であり、日本神道の最高司祭と考えた方がしっくりきます。
似た存在でいうと、ローマ教皇があります。
このことを知らない日本人がいかに多いか。
ちなみに天皇陛下のご先祖様は、皇祖神天照御神ですので、天皇も神ということになります。
戦前までは、天皇陛下は神様だったのですが、終戦後の1946年に発令された「人間宣言」で、皇室は神様ではなく人間になってしまいました…。
ほんの76年前まで、天皇陛下は神様だったのです。
それでも「神道政治連盟」は、日本神道に基づいた理念に賛同する連盟ですから、その委員会で行われた森総理の発言は、何も間違ってはいないのです。
もっと言えば天皇陛下だけでなく、日本神話では日本人は全員神々の子孫という設定なんです。
2700年もの悠久の歴史を持つ世界最古の国である我が国日本で、人間宣言が発令される1946年までは確かに森総理大臣の言う通り、日本は天皇を中心とした神々の国だったんです。
ですから、この森総理大臣の発言を批判した連中は、日本の歴史も起源も知らない教養のないバカだということになります。
日本は2700年の歴史を、終戦後たった76年で失ってしまったのでしょうか。
世界で最も成功した国とは?
2700年の歴史がある最も古い国である日本は、世界で最も成功した国だと言えます。
なぜなら失敗した国家は滅びるからです。
日本が世界中で尊敬されるのは、最も古く成功した国であり、黒人や韓国人が軽視されるのは、成功体験がないからだと聞いたことがあります。
黒人の故郷であるアフリカ大陸は、白人に植民地支配された歴史が長く、黒人は独自の言葉や国をほとんど持ちません。
韓国は、1910年に日本が韓国併合することによって、やっと中国による冊封体制から抜け出し、独立を果たしました。
冊封体制とは、中国に貢物をすることで国と認めてもらえる君臣関係のことです。
日本は韓国より1000年以上も早く、607年にすでに聖徳太子の機転でこの冊封体制から抜け出すことに成功しています。
当時の中国大陸にあった隋という国家に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文書を送り、隋と日本は、同じ天子を君主とする同等の国だと認めさせたんですね。
その後韓国は第二次世界大戦終了後の1948年にアメリカから独立し、大韓民国となったわけです。
まだたったの73年しか歴史がありません。
ちなみに中国4000年の歴史というのは真っ赤な大嘘で、あれは志那大陸の歴史に過ぎません。
中華人民共和国が設立したのは、1949年10月1日のことで、まだ71年の歴史しかありません。
つまり73歳の大韓民国も、71歳の中華人民共和国も、御年83歳の森喜朗元総理より若いってことですね!
こうしてみると、2700年の歴史を持つ我が国日本の存在は、奇跡とも言えます。
わたしたちは奇跡の国に生まれてきたという誇りを失ってはいけません。
「神の国」発言の問題点
わたしから見れば、「神の国」発言は何の問題もありません。
しかし朝日新聞などの左翼団体からすると、「政教分離に反する」というのが一番の問題なようです。
「政教分離」とは、「国家(政府)と教会(宗教団体)の分離の原則」のことですね。
ただこの「政教分離」はかなり解釈が難しいんですね。
前述した通り、日本の天皇陛下はまごうことなき宗教的存在です。
令和の天皇が即位する「即位の礼」や、「大嘗祭」が宗教的行為が強いという批判も一部ありました。
その批判を突き詰めると、天皇制すら不要だろという理論になります。
しかし日本の歴史は、天照大御神の子孫である神武天皇が紀元前660年に即位したことが始まります。
ですから、日本の2700年の歴史を証明する存在が天皇陛下となるわけです。
もしも天皇制をやめてしまうなら、それは2700年の歴史を持つ日本を否定することであり、全く新しい別の国の誕生ということにはならないでしょうか。
というわけで、加地伸行氏などは、日本は古代から「天皇を中心とする神(々)の国」であったことは否定できないと、森首相を擁護しています。
「日本においては、神道は決して特定の宗教ではない。」とし、特定宗教の「神」ではなく、「日本人としての多神教意識」を「自分の心に宿る文化」として捉えていると主張しているそうです。
わたしも同じ考えですね。
公明党が「政教分離」を言うな!
この「神の国」を強く批判した団体の一つに、創価学会を支持団体した日本初の宗教政党「公明党」があります。
創価学会は一応仏教ですので、本来フェアでなければならない一国の総理大臣が神道に肩入れすることに反発するのは、まあ分かります。
わたしだって、日本には「神道」という立派な宗教があるのに、何でわざわざキリスト教のような世界で最も多くの人を殺し、日本に原爆を落とした宗教に改宗するのだろうって思いますもの。
しかし公明党が「政教分離」を大義名分にして、「神の国」発言を批判するのは、「お前が言うな!」、まさに「おまゆう」ですね。
創価学会という宗教を利用して、政治団体を作った公明党に、「政教分離」を批判する資格はありません。
2000年6月「無党派層は寝ていてくれればいい」
「寝ててくれればいい」発言は、わたしが森喜朗元総理のファンになるきっかけになった発言です。
それは2000年6月25日の投票日を前にした20日のこと。
森総理は所属の自民党を含む与党が有利であるという報道を聞いて
と述べました。
しかし、この発言
「寝ててしまってくれれば、それでいいんだが、」と、逆説の接続詞「が」がついていますね。
つまり、「寝ててしまってくれればそれでいい」を否定して打ち消しているんです。
小学生で習う接続詞ですよ!
その後、「そうはいかない。」とついているので、バカでも分かるようにていねいにいえば、
「寝ててしまってくれればそれで自民党は勝てるだろうが、そういう考えでいるわけにはいかない。」
が、森総理大臣が本当に伝えたかったことではないでしょうか。
なのにマスコミは、この「寝ててしまってくれればそれでいい。」の後に続く、本来伝えたかった反対を意味する「そうはいかない。」を切り取って報道しました。
「寝ててしまってくれればそれでいい」という一文だけが、テレビで繰り返し放映され、一人歩きを初めてしまったのです。
この頃からではないでしょうか。
マスコミが言葉を切り取って、もてあそび、発言者が本来意図することと真逆のことを伝えることに味をしめていったのは…。
これをプロパガンダと言わずして何と言う!!
しかしマスコミもマスコミだが、それを鵜呑みにする愚民も愚民だ。
今の時代ネットで検索すれば、どこかに全文が落ちてるんだから、なぜ調べてから批判しないんだろう。
日本は世界で最も難解だが美しい言語を持つ民族です。
英語が世界共通の公用語になったのは、比較的簡単で覚えやすい言語だからと聞いたことがあります。
簡単な言語しか話せない民族は、当然脳も簡単な作りになり深い考察ができなくなります。
だからアメリカ人にはバカが多いのでしょう。
むつかしくも美しい言葉を持つ日本人の知能が高くなり、優秀な人材が育つのはごく自然なこと。
なのにいつから日本人は、母国語ですら理解できない単純バカに成り下がったのか!
もう絶望と失望しかないね!
森元総理の反論
実際森喜朗総理は、その後雑誌のインタビューなどで、以下のように反論し、メディア批判をしています。
「僕の失言だと言えば失言かもしれないけれども、僕の演説は必ず反語を使っているんです。リカバリーするやり方をしているんです。ところがマスコミの人達は、その部分を書かないんだ」
出典:a b c 芹川洋一著、平成政権史、日経プレミアシリーズ、2018年、149-150頁、日本経済新聞出版社
家内は、僕の話し方が良くないという。僕は全体を聞いてもらいたいんですね。ところがどこか部分だけ抜き出せば問題にできる。
あのときの世論調査の結果は、告示されて二日か三日目の調査でしたから、これからあと一週間あるのに、こんな自民党有利の数字を見て喜んではいけませんよと。これは前回の参議院もそう書かれて惨敗したわけですからね。
だから、「このまま誰も投票に行かないで寝ていてくれればいいかもしれないが、そうはいかないでしょう。だからこれから頑張らないと」といった趣旨の話をした。
「寝ていたらそうなるかもしれないが、そうすべきではないし、だから頑張ろう」という意味で言ったのですが、しかし、「寝てたほうがいい」で発言を止めちゃっているわけです」
出典:「総理というのは不自由なもんだ」『文藝春秋』2000年10月 p.172
喜朗ファンになったわたしの誤解
当初この「寝ててくれればいい」発言を聞いたとき、わたしも誤解して、「国民が選挙に行かず寝ててくれれば自民党は勝てる」という意味だと解釈していました。
選挙はわたしたち国民の意見を反映させる重要な政治参加活動です。
国民に向かって「選挙に行かず寝ててくれればいい。」と一国の総理大臣が発言するなんて言語道断。
国民は政治に干渉するな!と言ったも同然ですからね。
政治は本来国民の生活をよりよいものにするためにあります。
森首相の発言は、本末転倒、国民を愚弄したものです。
と確かにわたしは解釈しましたが、逆に、総理として決して口にしてはいけないことを言ってしまう、このおっちゃん面白い、とファンになってしまいました。
こんなにあからさまに、言っちゃいけないことを堂々と言う~?
バカ過ぎ!面白過ぎ!とね。
しかしわたしがこうして森首相のファンになったことも、実は誤解からら始まったことになります。
その後、森首相の正確な発言、本来の意図を知り、逆にマスコミに嫌悪感を覚えるようになりました。
マスコミが嫌いになればなるほど、森首相に同情するようになり、思い入れもより一層強くなったというわけです。
そしてわたしは森喜朗元総理が大好きになりました。
後編へ続く