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森喜朗よ永遠に!失言で総理大臣と東京オリンピック組織委員会会長を辞任。総理時代の失言は本当に失言だったのかを詳しく解説 後編

社会・テレビ・芸能評

失言で内閣総理大臣を退陣せざるを得なかった、森喜朗元内閣総理大臣。

これに懲りるどころか、森喜朗の人生の集大成として心血を注ぎ、無償で働くこともいとわなかった東京オリンピック・ パラリンピック組織委員会の会長まで、失言が理由で辞任することになってしまいました…。

失言の失言による失言のための失言で、大きな二つの仕事を退くハメになってしまった森元首相。

今回は、森元首相の内閣総理大臣時代の失言が、本当に失言だったのかを検証する後半戦です。

さあ、キックオフです。

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森喜朗内閣総理大臣時代の失言

2000年10月 人道上の大きな『石』

北朝鮮による「日本人拉致問題」

日本が絶対に解決しなければならない重要な課題に、北朝鮮による「日本人拉致問題」があります。

「日本人拉致問題」は、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員や土台人、よど号グループなどにより、17人の日本人が、日本、欧州から北朝鮮に拉致された問題です。

2002年小泉政権のもと、北朝鮮はやっと日本人を拉致したことを認めました。

そしてこの拉致被害者の5人が日本に帰国することができましたが、いまだに生死すら不明、帰国のかなわぬ被害者がいるのです。

人道上の大きな『石』を取り除かなければ国民の理解は得られない

2000年当時、北朝鮮は「日本人拉致」という犯罪を認めていなかった頃の出来事です。

北朝鮮は西欧に積極外交を行い、イギリスとは2000年12月に国交を結んでいます。

2000年、10月20日、当時の総理大臣森喜朗首相は、イギリス首相のトニー・ブレアとの会談の中で、北朝鮮と国交を結ぶ難しさについて語りました。

森喜朗
森喜朗

人道上の大きな『石』を取り除かなければ、国民の理解は得られない

つまり北朝鮮による「日本人拉致問題」が解決しないことには、国交を結ぶことができないという意味です。

ここまではまあ、いいとしましょう。

確かにその通りですから。

問題となったのは、その後の北朝鮮の「日本人拉致問題」を解決する方法です。

北朝鮮に拉致された日本人を別の国で発見!

森総理大臣は、イギリスブレア首相との会談で、拉致された日本人を行方不明者として、北朝鮮以外の別の国で発見するという解決策を、北朝鮮との協議で提案していたことを明らかにしたのです。

1997年実際に日本政府が北朝鮮を訪問した際、当時の訪朝団団長だった森元総理は、北朝鮮との交渉の場でこの解決策を提案していたのだそうです。

これはさすがに喜朗押しのわたしでも、ちょっと擁護できないですね…。

つまり北朝鮮の日本人拉致という人権侵害、人道を犯す犯罪をなかったことにしてあげるから、被害者だけ返してちょうだいね、ってことですよ。

絶対に拉致問題を認めない北朝鮮に、被害者を返してもらうにはこの方法しかなかったとしても、これはオフィシャルな国際会談の中で言っちゃいけないよね。

北朝鮮も日本も誰も得はしない。

これだけは確かに森首相の失言です。

ですかわたしはうっかりこういうことを言ってしまう、喜朗が好きでたまらない。

好意的に考えて…、

今にも北朝鮮と国交を結ぼうとしているイギリスに警告したかったとか?

あんなやばい国と国交なんて結ばない方がいいですよ、国民を誘拐されたらもう終わり。

違う国から出てきたってことにしないと、もう取り戻せないよって、きっとイギリスに親切心でアドバイスをしてあげたのでしょう。

そんな喜朗おじさんをこれからも応援します。

倫理か人命か

この森首相がうっかり口にした、北朝鮮に拉致された日本人を行方不明者として第三国で発見するという解決策は、非常に判断が難しいんですね。

北朝鮮により引き離された家族なら、どんな方法でもいいから拉致された家族を取り戻したいと願うかもしれません。

それが人道や倫理に反する大きな罪でも、なかったことにしても家族に会いたいと思う人もいるでしょう。

人命を重んじるなら、この案も一つの方法かもしれません。

それでもわたしはここで一つ、拉致被害者の有本恵子さんとその母・嘉代子さんについてのエピソードを紹介します。

有本恵子拉致事件

有本恵子(1960年(昭和35年)1月12日- 当時23歳)さんは、1983年7月頃に留学中のイギリスロンドンで、騙されて北朝鮮に拉致された被害者です。

結果的に北朝鮮からは死亡と公式に発表されていますが、死んだという証拠は何一つ出てきてませんので、生きている可能性もあります。

この有本恵子さんのお母さまが、嘉代子さんです。

わたしの記憶が確かなら、小泉首相が二回目の訪朝をはたした、2004年5月の出来事かと思います。

一国の首相である小泉総理を、北朝鮮ははるかに格下の幹部にでむかえさせました。

そしれこれといった成果をあげられなかった小泉総理を有田喜代子さんは、

「子供のお使いではないんだから」と強く批判しました。

小泉首相を批判したことでまた、有本喜代子さんも強く批判されてしまいました。

うちの父親も喜代子さんを「ありばば(有本のばばあ)」ととても嫌ってましたね。

何の落ち度もなく突然拉致された横田めぐみさんと違って、有本恵子さんは自ら北朝鮮に行ったという事情もあります。

「ありばばの娘は自分から行ったんや。」てね。

その有本喜代子さんも2020年2月3日に、娘と会えることが叶わず亡くなってしまいました。

有本喜代子さんに関して、高潔なエピソードがあります。

北朝鮮による日本人拉致問題の解決を目指す「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」の設立メンバーである、政治家中山正暉は、2002年3月に、嘉代子さんにこんな電話をかけたと言います。

救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の運動から手を引けば平壌に連れて行って恵子さんと会わせてやる

それに対し嘉代子さんは、「救う会を取ります」と回答したそうです。

この意味が分かるでしょうか。

喜代子さんは、自分の娘一人が助かる方法ではなく、拉致被害者の家族全てが救われることを選んだのです。

そして、自分の娘を拉致誘拐した北朝鮮の罪を許さないことを選んだのです。

この北朝鮮の「日本人拉致問題」は、ただの拉致事件、誘拐ではないのです。

北朝鮮から、わたしたちの日本という国が、侵略・侵害されているという事件なのです。

そして拉致被害者が帰ってこない今も日本は、北朝鮮に侵略されたままといっても過言ではありません。

有本喜代子さんが、小泉首相を「こどもの使いじゃないんだから。」と批判したのは、ただ自分の娘が帰ってこないからではありません。

北朝鮮になめきった態度をとられて、日本という国が侵害されていることに、声をあげたのです。

これが憲法九条により、武力を持てない国に貶められた我が国の弱さです。

もしも日本が武力を持つ強い国ならば、北朝鮮は恐れおののき、日本を侵害なんてしなかっでしょう。

仮に日本人を拉致したとしても、わたしたちは武力を持って北朝鮮に乗り込んで、拉致被害者を取り戻すこともできたでしょう。

有本喜代子さんが願ったのは、ただ一人自分の娘を取り戻すことではありません。

こんな悲しい事件が起こっても何もできない弱い国ではなく、日本が拉致被害者を守り取り戻す強い国であることを願ったのです。

それはもう二度と、有本喜代子さんのような悲しいお母さんを生まないためでもあります。

拉致被害者の家族という弱い立場の有本喜代子さんですらこんな覚悟を持っていたというのです。

なのに、北朝鮮の罪をなかったことにして、第三国から行方不明者が出てきたことにしようとは、何事ですか!!

バカを言ってはいけません!

 

2001年2月「これがどうして危機管理なんですか。事故でしょ。」

えひめ丸事故

森喜朗が総理大臣の退任に追い込まれた決め手となったのが、えひめ丸事故の対応の不適切さからでした。

えひめ丸事故とは、2001年2月10日に、アメリカ・ハワイ州のオアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船だったえひめ丸と浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルが衝突した事故のことです。

乗務員35人のうち9人死亡するという大事故になりました。

この事故はえひめ丸側に一切非はなく、潜水艦グリーンビル側のいくつかのミスが重なって起こったものでした。

ですから当時のアメリカブッシュ大統領も「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪しています。

「これがどうして危機管理なんですか。事故でしょ」

当時の総理大臣森喜朗は、このえひめ丸事故が起こった日、休暇中でゴルフに行っておりました。

そして午前10時50分にえひめ丸事故の第一報を受けたのですが、午後0時20分の第三報まで、3ホールほどをゴルフを続けたことが、危機管理能力が足りないと批判されることとなったのです。

このときのマスコミの批判に関して、森総理大臣の失言とされるのが、以下のような発言です。

森喜朗
森喜朗

これがどうして危機管理なんですか。事故でしょ

まあ、森総理大臣の発言は間違ってはいないですよね。

えひめ丸事件に関しての非は、全てアメリカ海軍にありますので、正直、日本側としてはどんな危機管理対策ができてようと防ぎようがなかったと思います。

かばうわけではないですが、何もアメリカ海軍もえひめ丸に乗った高校生たちを殺そうと思ってやったわけではないですし、悲しい事故ですね。

いや、アメリカ海軍が気をつけていれば防げた事故なので、日本側の総理大臣としては、そこは追及するべきかとは思います。

もっと森首相を擁護すれば、これが「クライシス・マネジメント(危機管理)」に当たるならば総理が陣頭指揮するべきなんですって。

ですが「インシデント・マネイジメント(事件処理)」や「アクシデント・マネイジメント(事故処理)」ならば、総理ではなく各省庁が国家行政組織法の定めに基づき対処すべき事故に当たるそうです。

ですからこの事故は、一般論から言えば海難事故は国土交通省とその指揮下にある海上保安庁の所管であり、「えひめ丸」が水産高校の実習船であることを考えると文部科学省の所管でもあるんです。

つまり森総理はゴルフ場からでもひと言「所管大臣は官房長官」と指示しておけばそれで総理の仕事は終わり。

森総理が言うとおり、「えひめ丸」の衝突は事故であるが「総理の危機管理」には当たらず、間違ってはないそうです。

えひめ丸については、若い命が失われた悲しく理不尽な事故だっただけに、国民のヒステリー感情が高まるのは分かります。

ですが何でもかんでも総理大臣の責任とするならば、政治家は総理一人で十分ということになりませんか。

内閣総理大臣一人では政治ができないから、たくさんの官僚と政治家で国を動かしていくというのにね。

「私が(官邸に)行かないことで、何が遅れたのか」

えひめ丸事故の一報を聞いても、森首相がゴルフを続けたということで、官邸に戻るのが遅いと批判されました。

そこで森首相が

森喜朗
森喜朗

私が(官邸に)行かないことで、何が遅れたのか。

と言ったことも、森喜朗失言集に取り上げられています。

確かにえひめ丸事故の凄惨さを考えれば、総理として思いやりの足りない発言ではありますし、失言と取られても仕方ないかもしれません。

一方で森総理がおっしゃる通り、官邸に戻るのが遅くなったことを批判するのであれば、何が遅れたかを説明する義務がマスコミにはあると思います。

このころの森喜朗総理にたいするマスゴミのネガティブキャンペーンは熾烈を極めました。

えひめ丸事故と同時に、森総理がゴルフを続けたと何度もプレイ中の映像を流し続けました。

しかしこの動画は、えひめ丸事故当時のゴルフプレーではなく、2000年08月12日の神奈川・大箱根カントリークラブで行われたものだったそうです。

確かに2月なのに半そでなので、おかしな話です。

当時、政調会長だった亀井静香も

「あれはテレビがいけない。

ちょっとしかやっていないゴルフの映像ばかり、何度も何度も流すから、悪いイメージができてしまった。

もっとも、それで影響される国民がアホだということだ。これははっきり言っておきたい。」

と語っています。

また当時、ゴルフを続けた理由を森元首相も、週刊ポスト2012年12月7日号で語っています。

ゴルフを続けたのは、えひめ丸事故第一報では詳細が分からず、ゴルフ場で待機するように言われたから。

そこで待機したままでいると、後の組がどんどん来るので迷惑なので、ゴルフを続けてホールを進めた。

その後官邸に戻るとき着替えてから行ったら、「早く戻らずシャワーを浴びていた。」と批判された。

ゴルフウェアで行けば、もっと叩くくせに。

詳しくはこちらのサイトで
森喜朗元首相 えひめ丸事件の際にゴルフ続けた理由を明かす | マイナビニュース (mynavi.jp)

森総理退陣の理由

※静養先の箱根でゴルフを楽しむ森喜朗首相(左)。右から安倍晋三内閣官房副長官、中川秀直官房長官=神奈川・大箱根カントリークラブ(2000年08月12日)
えひめ丸事件当時、繰り返し流されたゴルフの映像はこのときに撮影したものです。

このえひめ丸事故に乗じた森喜朗総理大臣ネガティブキャンペーンにより、内閣支持率は降急降下しました。

ゴルフ批判の際に使われた事件当時の映像ではなく、夏に撮影された森総理のプレイ中の画像を見て思ったそうです。

森喜朗
森喜朗

マスメディアが私のイメージを落とそうと、総がかりで襲ってきたな。

そして「マスコミがつくりだす「世論」にはもう抗えない」と認識して、辞任を決心したそうです。

もう日本で一番恐ろしいのはマスゴミです。

いいえ、マスゴミを信じるレベルの低い日本人が一番怖い。

わたしは当時から森喜朗ファンでしたから、この異常に森叩きをするマスゴミにずっと違和感を覚えていました。

ですから森喜朗元総理は、わたしにマスゴミの異常さを教えてくれた恩人なのです。

わたしはこの恩人を、これからも応援します!

もしも森元総理がマスゴミと戦うのなら、わたしはどこまでもついていきます!

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森総理が引きずり降ろされた本当の理由

日本のマスコミのほとんどは中国人と韓国人

保守派と改革派

なぜこれほど森喜朗がたたかれるかというと、一つには保守派であるということがあります。

それは失言とされた「神の国発言」にもあらわれていますね。

わたしの職場の若い女の子たちは、右翼と左翼の違いが分かっていません。

おおざっぱに言ってしまえば、右翼は保守派、今ある日本を守っていこうという主義です。

だから天皇陛下万歳なのですね。

左翼は改革派、今ある日本を変えようという考えです。

だから日本の象徴である天皇制を嫌っています。

もちろん、日本はそのままであるべき部分と、変えていかねばならない面を持ち合わせていますので、保守派と改革派、どちらが正しいかとは一概には言えません。

しかし日本が世界で最も古く成功した歴史を持つことをみると、やはり保守派の方に分があるとわたしは思います。

戦後の日本のマスコミ

1945年8月15日は、日本がアメリカに敗北した終戦の日です。

この後日本は、連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐん さいこうしれいかん そうしれいぶ、英語: General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)の支配下におかれ、7年間もの間、洗脳政策を施されました。

「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインドコントロールらしくて、日本人の「誇り」と「愛国心」を奪い、二度と戦争ができない国に貶められたのです。

1940年生まれのわたしの父など、この洗脳教育がたっぷりと染みついてましたね。

その洗脳政策の一環として、GHQは、日本のマスコミに外国人である韓国人や中国人を大量に潜り込ませました。

ですから日本の報道機関は、中国や韓国寄りの報道をするのです。

この報道機関を外国人に握らせてしまうというのは実によく効いて、韓国好きの日本人がいかに多いことか。

「愛の不時着」なんてドラマ、日本の本当の知識人は見ないと思いますよ。

わたしは見てないですが、このドラマに登場する北朝鮮の軍人約のヒョンビンが、兵役のなかで最も過酷とされる海兵隊に志願して入隊しているのがいいのですって。

アホかって思う。

それがいいなら、靖国神社に行って、特攻隊の遺書を読んでから言えやってね。

うろ覚えですが、特攻隊に志願して10代で命を散らしたような若者が

「お母さん、最も危険な海軍になんて志願してごめんなさい。

だけど僕のことを誇りに思ってくださいね。

日本を、お母さんを守るために特攻隊に志願したのですから。

お正月には靖国神社におもちをそなえてくださいね。

わたしはいつでもそこにいるのですから。」

みたいな遺書をたくさん残してます。

何がヒョンビョンじゃ!!

日本をおとしめる反日教育を行っている韓国ドラマを観る前に、日本の歴史を学べやコラー!!と、お嬢様のはずのころんの口が悪くなるのも当然のことでしょう。

というわけで、日本のマスコミには韓国人・中国人が多いので、保守派である森喜朗は嫌われたというわけです。

当時の官邸派閥がアンチ森だった

英語が苦手な森喜朗総理大臣が、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンとの会談で、「Who are you ?」と失言したというフェイクニュースがまことしやかに流れたことがありました。

詳しくはコチラで
「Who are you ?捏造報道」

本当にひどいフェイクニュースでしたが、ここまで森首相が貶められたのは、官邸の報道記者の派閥問題があったそうです。

当時の官邸記者は、田中派(田中角栄が旗揚げした木曜クラブという派閥)や大平派(宏池会《こうちかい》)という自由民主党の派閥。2020年1月現在、最古参派閥)が多かったそうです。

その中で森喜朗は、相反する福田派(清和政策研究会)にいました。

そこで田中派や大平派を応援する報道陣たちは、福田派の森喜朗が内閣総理大臣になったことが面白くなく、「森政権なんか、三ヵ月で潰してやる」と豪語していたのですって。

またこのような森潰しに加担したキャスターの筑紫哲也は、ある結婚式のスピーチではっきりと言ったそうです。

「今日は、森前総理も見えていますが、森政権時代、我々も『森を潰せ』という戦略で少しやりすぎだったと思っています。

一国の総理とメディアの間には、ある程度の緊張感が必要で、ある程度の批判はする。

しかし、森さんについてはやりすぎたという反省がある」

森喜朗
森喜朗

何をいまさら。

という気分に、森元総理がなることも、無理もないことでしょう。

こんなひどい人権格侵害、人格否定をされて、気の弱い人だったら自殺してますよ。

森元総理だったから乗り越えられたのかもしれません。

この後のの森喜朗元総理大臣の人生に、もうこんなにひどいことが起こらないように願うばかりです。

そうはいかないかな…。

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森喜朗が総理大臣になれたのはお人柄とサービス精神

森喜朗元総理大臣の、切り取られてねつ造された失言集だけ見てみれば、なぜ、こんな人が総理大臣になれたのだろうと思うかもしれません。

森元総理は、もとは政治家を目指していたわけではなく、ラグビーを志した体育会系の青年でした。

ラグビーをするために早稲田大学の夜間に入学するなど、政治家として学歴は高い方とは言えません。

そのラグビーも大学時代に挫折してしまいましたが、ラグビーを始めとするスポーツに並々ならぬ思い入れがあり、東京オリンピック組織委員会会長を務めるにいたったというわけです。

政治家としては頭脳派というより、体育会系の森喜朗は感性派、体で感じたことを思ったままに表現するタイプだとわたしは思ってます。

当時政調会長の亀井静香は

「森みたいなのが総理になれたんだという人がいるが、森が総理までになれたのはズバリ他人への配慮だ。

人に対する配慮するのが、物凄く上手かった。」

と述べています。

ちなみにわたしが亀井静香をラストサムライとあがめているのは、郵政民営化にたった一人で最後まで反対し続けた姿に武士の魂を感じたからです。

自分が総理大臣になれなかったのは、ブサイクだったからだ、なんて冗談を言うユーモアたっぷりの人です。

この亀井政調会長が言うとおり、森喜朗はサービス精神の塊みたいな男だとわたしは思ってます。

どうしてこんなに批判されても、失言が止まらないのだろうと思ったときに気がついたのです。

この人は、サービス精神が旺盛すぎて、ついうっかり、言っちゃいけないことを言ってしまう人なんだ。

他人を笑わせたい、喜ばせたいという気持ちが人一倍強い人なんだと…。

だって森元総理の失言って、けっこう笑えるものが多いじゃないですか。

何であんなに皆が怒るのだろうと、わたしは不思議でなりません。

かつて森元総理大臣は小学生にこう語りかけたことがあるのですって。

森喜朗
森喜朗

おじさんはラグビーがやりたくて東京に行ったが途中でダメになり、そのおかげで政治の世界に入った。

 

ボールがあっちこっち転がるうちに総理大臣になっちゃった。

森喜朗のキュートな魅力がつまった素晴らしい言葉だとわたしは思います。

もともと総理大臣になりたくてなったんじゃないのでしょうね。

例え何かに挫折しても、思わぬところから一国の首脳になれることもあるんですよという、人生捨てたものじゃないという優しさが、ユーモアたっぷりに語られています。

ラグビーとボールが転がるという表現をからめたのにもセンスを感じますね。

結局、なんだかんだ言っても総理大臣を務めたことのある森喜朗は、成功者であり日本トップクラスの勝ち組なんですよ。

ものすごい資産を持っているというウワサもありますし、政界の黒幕だとも言われています。

今回の東京オリンピック組織委員会会長の引きずり下ろし事件は、持たざる者ルサマンチンの持てるものへの醜い嫉妬のように思えてなりません。

いつかこの森喜朗という大きな器が、醜いルサマンチンどもを包み込んで浄化する、そんな日本になることを願ってやみません。

いつかきっとこの森喜朗の残した偉大な功績が、愚民たちに評価される日が来るということも、わたしにはもう分かっていることなのです。

時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。
ラダ・ビノード・パールの言葉より

 

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