ロスジェネ世代、正社員を目指す R企業でのお仕事事情 その1

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それまで営業や販売職に従事していたわたしが、始めて事務職として就職したのが、理系の企業ある企業、アール株式会社であった。
面接時、社員雇用もあるということで、まずは契約社員として勤務した。

わたしの仕事は営業事務として営業の補佐、そして官公庁に提出する膨大な数の書類を作成することであった。
入札参加資格申請書といえば、イメージしやすいであろうか。

その仕事をわたしをふくめた二人の営業事務で行う。
このもう一人の営業事務、わたしの先輩に当たる人を、Mさんとしよう。
Mさんはたいへん優秀と評判の女性で、小学生になるお子様がいる主婦だった。
管理職になれるぐらい優秀だと言われていた。

以前にもこのブログで書いたが、当時わたしの会社は、共産主義の社長の方針で、望めば誰でも社員になれた。
誰もが平等で幸せに、という考えなのです。

ある時期に意志確認をして、一斉に社員にするという。
しかし、Mさんはお子さんが小さいという理由で、社員にはならず、パート勤務という働き方を選んでいた。

ところがMさんはパートにもかかわらず、わたしが来る前は、社員なみの残業を強いられていたらしい。
というのも、わたしと同じ仕事をする予定だった女性が、全く使いものにならなかったという。
そこでMさんは二人分の仕事を一人で行っていた。
結果、使いものにならなかった女性は契約更新をしてもらえず、退職してもらって、新たにわたしの採用となったのである。
だから基本は、営業事務の仕事は二人体制で行わなければならない業務量だった。

その中でMさんが介護のために退職することになった。
なのに、営業事務の補充はなかった。

なぜなら当時、営業職を二人新たに採用したため、営業部に人件費がなかったからである。
新たな営業とは、二十代の男性スエオと、アラサーの女性、紙袋さんである。

当時アール会社には、50代以上のベテラン営業しかいなかった。
恐らく、バブル崩壊の不景気による人員削減により、ロストジェネレーション世代を採用しなかったからである。
だから40代30代の中堅や若手となる営業が不足していた。
そこで、後進を育てるために、中途採用で、アラサーの営業を二人採用したというわけである。

誰かが退職した人員補充というわけでないので、人手は足りていた。
だから最初は事務的な業務を覚えこともかねて、わたしの仕事を紙袋さんとスエオが分担して手伝うということであった。

Mさんが、きちんと誰がどの仕事を引き継ぐのか、分担表を作ってくれた。
そして、Mさんはわたしにこう言い残して去っていった。

「ここは積極的に社員にしていこうという会社だから、社員を目指した方がいい。
ころんさんならなれるから。」

ピンチは最大のチャンス。
これは今、勤めている企業の所長が言っていたことである。

わたしにとって、Mさん退職は、業務量が倍になるピンチ。
しかしこの業務量を一人でこなせば、社員になれる能力があると示したことになる。

だが以前にこのブログで書いたように、わたしが社員になれることはなかった。
なぜならMさんが退職後、社長が変わったからである。

そして当時の営業部の人手は足りていたどころか、あまっていた。
が、しばらくして、人手があまっているとみなされたためか、スエオが期間限定で他の部署の手伝いに行くことになった。

結局わたしと紙袋さんで、スエオの分担分の営業事務を引き継ぐことになった。
といってもスエオ分担分は、ほとんどわたしが引き受けた。

だから結局はわたしがほぼ一人で営業事務の仕事を行っていた。
当時は毎日のように残業していた。

それをみかねたのか当時の上司、乞食部長がこう言い出した。
「ころんさんが大変そうだから、もう一人、人を入れようか?」

これを聞いて、乞食部長、いい人だね、と思ったアナタは甘い!
甘すぎる!

当時わたしは超忙しく、人なんて新たに補充されたって教えるヒマがない。
それだったら今のままで十分や。
何もできない新しい人が来たところで、余計な仕事が増えるだけ。

とていちょうに人員補充案をお断りしたら、
「そんなこと言ってたら、いつまで経っても新しい人入れられないでしょ。」
だって!!

アホか!

それだったら、Mさんがいるときに、新しい人を補充してくれたらええやん。
Mさんに引継ぎしてもらって、その間、わたしは仕事に集中できる。

それにわたしの行っている仕事だが、年間を通してとてもバラつきがある。
官公庁に提出する書類を作成するのだが、例えば12月が一番多く、100件近くとなる。
当然残業が必要だ。

しかし、7月8月の夏場は0件!
ヒマでヒマで、眠くなるぐらい。

比較的5月から10月当たりは、契約社員のわたし一人で十分。
11月から4月ぐらいが忙しい。

よって新たに人をいれるなら、5月ぐらいにしてくれて、繁忙期にそなえさせてくれー!!
実際わたしが採用されたのも、5月だった。

ただこのときは、まだ入社して一年も経ってなかったので、年間の業務のバラつきについてあまり理解はしていなかった。

とにかくこの乞食部長という人は、計画性もなく、思いつきで仕事をする人で、たいへん評判が悪かった。

どうやって部長まで上り詰めることができたのか、不思議で仕方がない。
強いていえば背は低いが、顔は外国人のように彫が深く、ハンサムだった。
多分若い頃、顔がいいからチヤホヤされて、勘違いしたタイプ。

また組織票を持っていた。
というのは乞食部長は、日本最大派閥のSGI!!
公明党支持者である。

そこで創価学会がらみの大きな仕事をいくつか取ってきて、それが社内で評価されたらしい。
頭は悪く、可哀想なぐらい人望はないが、営業マンとしての直観力には優れていた。

頭の悪い乞食部長は、モラルも低く、ロビー活動を会社でこっそりと行っていた。
わたしはされたことないが、スエオや紙袋さんは、選挙で公明党に入れるよう頼まれたという。
またスエオは、飲みに行ったときに、頻繁に学会に勧誘されていたらしい。
やがてその行動が、後に大きく乞食部長の足をすくうことになる。
それはまだまだ先の話。

で、このしばらく後なんだが、乞食部長は南の果てに左遷される。
このときに、あまりに人望がなく、誰も送別会を企画しなかった。
本来ならば、紙袋さんやスエオが幹事をするのだろうが、仕方なーく仕方なーくわたしが企画した。

乞食部長が、送別会してくれしてくれとしつこかったからです。

送別会って、送られる方は、基本お金払わないやん。
つまり自分の送別会を頼むということは、タダで飲み食いさせろって言ってるのも同然。
それは物乞い、乞食と同じ行為ではないか。

よって乞食部長と名付けました。

話をもどしましょう。
わたしは、もう一人わたしの仕事を手伝ってくれる予算があるなら、わたしを社員にしてほしいと申し出ることにした。

そこで乞食部長に時間を作ってもらった。
で、わたしが

「もう一人、営業事務を補充する話なんですけど…。」

と口火をきったら、部長は最後までわたしの話を聞かずに、

「実は、もう一人、営業がほしいんだよね…。」

とわたしの話を途中で遮ったのである。

はああぁあああぁ!?

アンタ、わたしが大変そうやから、もう一人営業事務を入れようかって言ってたやん!

それはただの口実で、本音は自分の仕事を手伝ってくれる営業がほしいだけだった。

だって紙袋さんとスエオという二人の営業が入社して、数か月しか経ってないのに、何でもう一人営業がほしいのか。

他の部署に盗られたスエオを取り戻せばいいやん!!

営業を二人入れてすぐに、もう一人営業がほしいなんて話が通らないとは、さすがの乞食部長も分かっているのだろう。
だからわたしを隠れ蓑にして、営業事務という体で、人を補充し、実際は自分の仕事をさせる。

なんと姑息な!
なんと卑怯な!
なんと汚い!

そら、可哀想になるぐらい嫌われるはずだわな。

そんなこと、神が許しても、このプチ初老ころん様は許すまじ。
そこでわたしは、べらべらとしゃべり続ける乞食部長をさえぎって、

もう一人補充する予算があるなら、わたしを社員にしてほしい旨、しっかりお伝えした。
もう記憶があいまいだが、乞食部長は、善処するという答えだったと思う。

だがこの男がわたしを社員にするはずはなかった。
わたしを社員にするぐらいなら、その予算で、もう一人、自分の仕事をしてくれる人を雇う。

それがこの男だ。
自分のためになることしかしない。

だから人望がない。
どうやったら人ってこんなに人望なくなるんだろうと、可哀想になるぐらい人望がないんだ。

しかし悲しいことに、当時入社して数カ月のわたしは、この男の本質というものを、よく知らなかったのである。

また後から分かったことだが、正社員になるためには、まず直属の上司、わたしにとっては乞食部長の強い推薦が必要である。

乞食部長の推薦を受けて、社長を含めた5人の役員の承認があれば、次の期に社員になれる。
5人の役員のうち、一人でも反対したらアウト。

こういう方法で社員になるというのは、もっと後に、アトム部長に教えてもらった。

そもそも乞食部長は、わたしのことを推薦すらしてなかったのである。
なのに、わたしには、上にかけ合ったと嘘をついておった…。

 

続く

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